皆既日食+新月7/22(水)☆いよいよ近づいてきました☆

皆既日食新月の重なる7/22(水)、
私達はどんな体験をできるのだろう……
そんなことを考えていたら、
アンドルー・ワイル氏の「太陽と月の結婚ーー意識の統合を求めて」日本教文社 に次のような文章をみつけました。

太陽と月の結婚―意識の統合を求めて

太陽と月の結婚―意識の統合を求めて


「部分日食しか見たことがない人には、この壮大な美は察すべくもない。
皆既日食の通り道に居合わせるという体験は、度合いではなく、
その種類において部分日食の体験とは異なるからである。


1970年のその土曜日、わたしはミアウアトラン(メキシコ)のひときわ高い丘の頂上に立っていた。
その丘からは、見渡すかぎり荒れてひからびた平野のひろがりと遠い山並が望めた。


光がしだいに弱まり、やがて急速に色あせてきた。
すると、巨大な劇場を思わせるかのように、西のほうから不透明な闇が湧き出してきて大きくなった。
アンブラ、つまり日食の影の部分の端なのだ。
(略)


つぎの瞬間、実際にこの世のものとは思えない光景が出現した。
突如、地表が光と影で織りなす、何本ものさざ波の帯でおおわれたのだ。
細い三日月型にあって消えて行く間際の弱々しい太陽光線と、
地球上空の大気との相互作用から生じる独特のパターンである。
(略)


そのとき、誰かが叫んだ。「あれを!」
ふり仰いだわたしは、生まれてはじめて太陽のコロナというものを見た。


太陽がちょうど天頂にきたときに月が隠れたため、
頭上に黒い円盤が浮かびあがり、
その周囲に妖美な銀色の光を放つ炎が燃えていた。


空はそれほど暗くはなかった。
白熱した黄昏とでもいうべき光が全天周にひろがり、
そのへりが明るく輝いて360度の地平線に溶けこんでいた。
(略)

アンブラになった数分間は、ハリケーンの目に入ったときのようだった。
(略)


すべてのものが停止した。
嘘のように、安らぎと均衡のひとときが訪れた。
時は流れを止めた。」p273〜275



私はこうして今日も東京にいるので、今回の皆既日食を直接見ることはできませんが……
ワイルさんの丁寧な観察のおかげで、
その時何が起こるのかーー
おおよそを知ることはできるようです。


皆既日食では、「アンブラ」と呼ばれる影の部分が、天空に広がり、
地表が「光と影のさざ波の帯」でおおわれる瞬間もある。
そして、黒い太陽から広がるコロナは、
いつもの太陽とはまったく異なる不思議な光、ということですね。
(実際、コロナの広がりは、カメラよりも裸眼の方がしっかり確認できるようです。)


それはまるでハリケーン=台風の目に入った時のような、
安らぎと均衡、
さらに言えば……
静けさと厳粛さも感じられる時かもしれない。



皆既日食は天空の現象であると同時に、
ひとの意識の中で起こる過程でもある、とも言えるのではないでしょうか?


太陽=自我がしばし陰り、闇の中に潜むひと時。
そこでは(もともと持っていた)潜在意識のポテンシャルやエネルギーが息を吹き返す。
こうした原初的な生命力とコンタクトした意識が、
さらに「ダイアモンド・リング」と呼ばれる一瞬の輝きを経て、
また、いつもの時空間に帰ってくる……。


今回はまた新月とも重なり、
新月は毎月のサイクルの中で、「リセット」と「スタート」の時といわれます。)
より大きな「死と再生、変容のプロセス」が訪れようとしている、
とも感じられます。


じっくりと、そして厳粛な気持ちで、
この7/22(水)を味わい・むかえたいものです。


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