60代でも人は変われるのです。ある詩人の再生のプロセスと4人の女性

ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る

ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る

「こころのこいしにつまずいて
ことばはじめんにぶったおれた」
谷川俊太郎さんの詩「ことばがつまずくとき」から



735ページ、圧巻のボリューム。
「ぼくはこうやって 詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る」ナナロク社刊
から、今日はご紹介させて下さい。



10歳から現在まで、
70年にも渡って詩人として生きてきた、
谷川俊太郎さんの変遷。


これを山田馨さんが丁寧にインタビューして、
沢山の詩がどんな過程から生み出されてきたのかーー
3度の結婚と離婚との関連も含めて、
この本では描き出しています。


出版された34冊の詩集から88篇の代表的な詩も収録され、
谷川さんの「詩と人生」全体をわかる本となっていて、
感激します。


そして私の見方ではこの本から、
ひとりの偉大な詩人の「人生の再生のプロセス」をみれる
ーーと思うのです。



●母親を看取ることと、3人の妻と
10代の頃、高校生活に馴染めなかった谷川さんは、
大学ノートに詩を書きためていました。
これが著名な哲学者である、父親の谷川徹三氏の目にとまり、
「二十億光年の孤独」として出版され、
鮮烈な少年詩人としてデビューします。


その後も「プロの詩人」として、
ひたすら詩や文章を書き・出版して生計を立てるーー
というスタイルで、生きて来た。



幼児の頃は、自分よりも「母親がいなくなること」が心配な、
かなり「母ー子関係」を濃密に感じている子供だったそうです。


22歳で詩人仲間の女性と、初めての結婚。
25歳で2回目の結婚をして、2人の子供を作り、育てた。
40代後半から母親が発病し、介護する状態となった。
この中で妻の負担が大きくなり、2人目の妻との関係が悪化した。


52歳で母親が亡くなり、
絵本作家でエッセイストの佐野洋子さんと再会した。
こうして佐野洋子さんと3度目の結婚をするのですが……
谷川さんと対称的なパーソナリティの佐野さんから、
詩人という在り方に根本的な批判を受ける。



そしてまた離婚して……、
谷川さんは意識的に詩作から離れて、「沈黙の数年間」に入ります。
秩父の山中でログハウスの改修や、
ツリーハウスの建築に集中していたようです。


「こころのやみのどろにうもれて
なにもみえない きこえない」



この「沈黙の数年間」を通過して65歳頃から、詩人として再活動し始めるのです。
何かの「ワク」がはずれたみたいに、
それまでの谷川さんの詩の形から脱皮したように、
自由自在に詩を生み出すように変化した。



こうして、母親との関係と、看取り、
そして3回の結婚と離婚を経て、
谷川さんはとても深い変容体験を、通過してこられたようです。



●谷川さんの変容が進んだひとつのポイントとして
「今、現在に集中できる」=谷川さんの資質があるのでは……
と、私としてはおもいます。


「過去」の記憶や感情にこだわるのではなく、
その時その時の「今、ここ」に集中することに長けている谷川さんなので、
60代半ばでも大きなパーソナリティの変容があり、
詩の世界も大きく拡大して、
変わって行けたのではないか。



またこの本は、
75歳の頃から行われたインタビューを基に、構成されているのですが、
谷川さんの語る口調の若々しさにも驚かされます。
素敵ですね〜〜。


こうしてひとは、
「こころのこいしにつまずいて」も、立上がれるし、
60代後半であっても、自分を変えられる。
そんなモデルに、この本を通して出会えるでしょう!!



「……ことばのものいえぬからだのおくに
かすかなひかりがさしてくる


そのほのかなかがやきは
くらやみをてらすひかりではなく
くらやみからうまれるひかり」

「ことばがつまずくとき」から
詩集「すき」理論社



「くらやみをてらすひかりではなく
くらやみからうまれるひかり」
も、あるのですね〜〜!!



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