香りとの一期一会、から…

私が、「身心一如のアロマセラピー」の実践・研究の中で知り得たことを、ニューズレターあるいはメールマガジンの形で、お伝えしたいと思います。
ご感想・ご意見などありましたら、教えていただけるととても有り難いです。


●香りとの一期一会、から…
ひとの香りへの反応は本当にさまざまで、「ある香りにはこういう反応が起こる」−−と大まかには言えるけれども、実際には「その時その人」に起こっている反応に、ひとつひとつ対応するしかない。
香りとひとの出会いは、「一期一会」である。
さらには、ひとの「今・ここ」を流れているものは、常に変化しつつある複雑な織りもののようでもあり、
ていねいにじっくりと触れていくしかない。
ここが安易にはできない所であり、ひとがいわば「ナマもの」としてあるのを、知らされる。


香りと向かい合う時、ひとは素のままで、向かい合うことがなかなか難しい時もある。
ためらったり、近づけなかったり、その人の内にある「弱さ」や「怖れ」があらわれる。
いや大切なのはむしろ、その「弱さ」や「怖れ」とまずは一緒にいることだろう。
こちらの「弱さ」や「怖れ」にもオープンになり、この位置で、
ひとという存在の、「傷つきやすさ」に耳をすませることだろう。
ここで謙虚に座っている、しかないんだなあ…。


例えばローズオットーという薔薇から抽出された香りと、ひとが向かい会う時、
ある人は理想的な至福や和らぎを感じるけれども、
別な人は実際の母親を思い出したりする。
ひとはしばしば母親と深い葛藤関係を抱えているから、母親への「怒り」や「憎しみ」が明らかになってくることも少なくない。そこには根元的な愛を求める叫び声が、響き渡っている。


これと(できる限りでいいのですが…)向かい合い、共にたたずんでみる。
すると、「怒り」や「憎しみ」、その下にある「かなしみ」や「無力な自分」、
さらには(本当にひとそれぞれなのですが)、底の方を流れている「生命の流れ」のようなものにも気づくことができるかもしれない。
ここでひとつの転換が、起こっている。


「生命の流れ」(それはチョロチョロ流れる小川かもしれないし、うねり流れる大河かもしれません…)を感じている内に、その人の内側から芽吹き、育ち始める何かが生まれるでしょう。
ひとに本来内在している「自己成長性」をよく喚起させられる−−これが香りのアプローチの利点のひとつです。
誰にも「自己成長性」は芽吹くことができる−−これは小さな奇跡でもあり、ヨロコビです。
複雑系の研究でいわれる「自己成長性」を、香りの中ではナマに実体験できます。
そこでひとはゆったりと息づき、安堵し、身体はやわらかく穏やかに波うっていることでしょう。


●後記
いろんな方面を気にしながら書いたら、まとまりの悪い文章になってしまいました。
イヤー、反省反省……。
本当は、「アロマと複雑系」について、やさしく書こうとしていたのです。

複雑系の研究はいろいろな面でヒントをくれるものであり、
ひとが香りをかぐということは、実は「複雑系であるひと」と「複雑系である香り」が出会っているわけです。
これを書くのは次回以降の宿題だなあ……。