「森の中の小さなテント」山下大明著 発行:野草社 発売:新泉社 1800円+税 2004年5月 ISBN:4787703838image

「森の中の花崗岩の上で夜を過ごした。
日中は風もなく、四月にしてはあたたかい日が続いていたので、テントの中より気持ちよさそうな気がしたからだ。」46p

屋久島の森の中で長い時間ひとりで過ごした筆者の、文章と野山の自然の写真が集められた小さな本です。
手の平の上に、苔におおわれた静かな森の写真を置いてみていると、とても心がなごみます。

「時には星を見ながら眠るのもいいものだ。一合の米を炊いて食べ、コーヒーを淹れて寝袋の中に入った……雲が広がっている夜空に月の居場所を探していると、森の匂いがしてきた……このわずかな月明かりの中で花を咲かせている樹があるのだ。そう思うだけで、なんだか森そのものが花を咲かせているような気がした」46p

わかります。そんな風に土の上で眠ると、どんなに安らかになれるでしょう…。
月明かりの下の森を漂う花の香りを、私もかいでみたい。
そして静けさの内に、沈黙の内にひとは降りていく……。


「森を歩きはじめた頃、夕闇の迫る森に馴れなくて落ち着かず、森の中で居場所を見つけるのに苦労した。闇を恐れるあまり、自分の心を閉ざしていた……すると森も、同じように心を閉ざしてしまうことに気づいた、
……森の中には闇のように怖いと感じられるものがある。それを当たり前だと思えるようになって、ようやく森を、落ち着いて静かに歩けるようになり、たくさんのことを森から学べたように思う」84p

森とひとの心は意外に似ている、のかもしれない。
ひとの心の内にも森はあり、河は流れていて、老人のような樹木も立っていたりします。
風が吹き抜け、微生物たちが密やかに息づいていたりします。
ひとがそれを想い出すことができれば。
闇にも自分をオープンにし、それと共にいることができれば。

実際に森を歩くことは、自分の内にも森があることに眼を開き、自分の闇と対話することでもある、のかもしれない。


「……たくさんの古い伐り株や倒木と出会った……伐り株はそこに育った樹にもうすっかり取り巻かれ、ほとんど一本の樹のように見える。
それらをひとつひとつ見ながら、森はたくさんの死を見つめてきたのだなと思う。
……このような森の中にいると、ほんとうに死は終わりではなく、新たな生へといのちは巡っているのだと思える。それはあたたかな温もりにあふれた姿として心の中に伝わってくる……森の中に独りでいると、自分を支えているのは決して目に見えているものたちだけではないということを教えられる。」128p

私達は無限にたくさんのことを、自然から学ぶことができる。そこに眼を凝らしさえすれば。
実際の森でも、内なる森の中でも。
「今、自分だと思っている自分」から、やわらかく解き放たれて、「大きな自分」として在ることに触れる。
それはきっと、「森そのもののような自分」として、生きていく道につながっているのだろう。

この本はひとが帰って来るのを待っている、森の中に張られた小さなテントみたいだ。