香りのグループワーク

私の毎月のワークショップ他のお知らせを短い文章と合わせて、メールマガジン「香りの旅からの便り」として、定期的にお伝えしている文章を転載します。
ご感想・ご意見など教えていただけると、とても有り難いです。
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●1年前の、ある「転換」
私は26〜27歳まで、同じ仕事場の仲間に朝の挨拶も、うまくできなかったのでした。
タイミングをのがすと挨拶しそびれたりして、「どうやって挨拶をやりなおそうか」と内心悩んだりすることもしばしばありました。


そんなコミュニケーションの苦手な資質の私が、今は「ワークショップ」「月の瞑想会」という形でとてもささやかですが、定期的にグループの進行役(ファシリテーション)をさせて頂いているのも、ふしぎな巡り合わせです。
基本的には−−参加者の皆さんと、植物の香りの中にしばらく一緒にいて、そこで起こってきたこと(イメージ、身体内の感覚、感情、身体の動き、聴覚、記憶、場の雰囲気など何でも)を全て受け入れ、味わうことです。
何より、「参加者相互に話を聴き合い、分かち合うこと」を大切にして、進めています。


こうしたグループワークの進め方をめぐって、昨年の夏、(他の方にはささやかなことでしょうが)私にとっては 眼からウロコが落ちる大きな転換がありました。
皆さんの体験を分かち合う時、それ以前は(会議などでよくあるように)話す方を私が指名したり、その方の「起こってきたこと」に介入し、何かを引き出そうとしたりしていました。
正直な話−−そこには「こんなことができるのですよ」とアロマの可能性や自分の仕事を見せつけたい・証明したい気持ちが、私の内にあったと思います。
この欲求・願望を、自分から引き離し、手放したのです(完全ではないですよ)。


それからは極力できる限り私の方から発言を求めずに、「自然発生的に」話せそうな方から語って頂くように変えました。
例えばある方は、香りと共に空を飛んでいるような体験をされるかもしれない、
別の方は、幼時からの両親との葛藤関係を想い出しているかもしれない。
また別の方は、ただひたすら静かに涙を流しているかもしれないし、
話さずに、ただ香りの中にいて味わっているのも、また良しです。


●ひそやかで押し付けがましくなく、自由でそして楽しい
すると何かが、微妙にけれど確かに、流れ始めたようです。
私の個人的な欲求を手放し、「場」にゆだねることで、より本質的な宝物をみつけられる。


これはタオイズムでいえば、「無為」でしょう。それは「無限」にも開かれている。
「何かをしなくてはいけない」とか「何かを感じなくてはいけない」とか「ポジティブでなければいけない」というような無意識の思い込みから、
(できるだけ、でいいのですが)自由になること。
私達の社会は、あまりにもこうした「思い込み」に、拘束され過ぎています。
何も起こらなくても大丈夫=だからこそ、何でも起こりうる可能性にひらけています。
「無為」の中で、自分の底から何かがかすかに、自然と生まれてくる−−そこに立ち戻ってみませんか。


ある参加者は、「ゆっくりと静かな雰囲気の中で、言葉ではなく微妙な隙間のような中から感じる事は、秘かで押し付けがましくなく自由でそして楽しい」と言って下さいました。
そうです。いつもそう理想的にできるかわかりませんが(笑)、短い瞬間のきらめきのようであっても、そうした「場」・時間を創りたいものです。
「個」をやわらかく手離して「場」を信頼してゆだねる時、潜在していた自己成長性が芽吹く(可能性がある)−−これが、私が「香りのグループワーク」の「場」で学んだことのひとつです。