進化する香りのグループワーク


私が、「身心一如のアロマセラピー」の実践・研究の中で知り得たことを、ニューズレターあるいはメールマガジンの形で、お伝えしています。
よかったらお付き合い下さい。ご感想・ご意見などありましたら、教えていただけると、とても有り難いです。


●「場」に言葉を捧げること、ひとの「輪」への捧げものとしての言葉
自分が、小さな「浮き」になっているを感じる。そう、魚釣りに使うアレ−−水面のかすかな上下にも瞬時に反応して、水面に浮き沈みする…。


これは先日のワークショップでのこと。車座になって皆さんと話していてフト、「浮き」をイメージしたのです。そして私はその「浮き」のエッセンスになろうとした。
ひとの集っている「場」に立ち現れる波立ち・流れ…水面の動きに進行役として「浮き」のように反応できれば……、と感じていたのです。


毎月数回、定期的に「香りのグループワーク」を続けてきて(それは本当にささやかですが)、この試みが一段と進化・深化しています−−これについて、お伝えしたい。
こうした「場」で、私が最近よく意識していることのひとつは、「場」=ひとの輪の中に言葉を捧げること、なのです。自分の思惑を離れて、「場」への捧げものとして、言葉をそこへ置くこと。
できれば(もしできれば…ですよ)、参加された方にもそんな風に話して頂ければ……、と願っています。


しかし、これは口に出さなくて良いかもしれない。そう願ってるだけで「場」の質が変容し、ひとが「自分だと思っている自分=自我」からやさしく離れて、自己開示的に話しやすくなってくる。
とてもさやかな「何か」なのですが、ひとが「そこに居ていい」感じ、「存在することをゆるされている感じ」が、生まれるようです。


あえていえばこれは、神田橋條治先生(精神科医)が精神療法の基礎トレーニングとして提唱されている−−
「場の雰囲気を感じること」
「場の流れを感じること」
「場の中での自分の心身の流れを感じること」にも、きっと通じているでしょう。


そしてなにより重要な要素は、この「何か」は、その日その時参加された方々の存在・持っているものの総合によって、「場」に産み出されるということ。
つまり、「場」=ひとの輪とは、「なまもの」であり、「その時」しかあり得ない貴重なものである。
ですからたとえ初対面であっても、「誰かと共にいる」ということを敏感に味わってほしい。「縁」を観じてほしいのです。


●慈悲を育てるワークへ
もうひとつ大切なのは、一見ネガティブに考えられること・ツライことも受け入れること、でしょう。
個人の内にあるいは「場」の内に、生じる否定的なことでさえも、それに耳をかたむけることで、少し何かが変容する。見え方が変わってくる。余裕が出てくる。


私としてはこれは、「慈悲(コンパッション)」を感じ・育てるワークへと繋がる、と思います。
「慈悲」とは何か−−安易に言葉にはしたくないですが、おそらく、ひとの根源にある感情・エッセンスのひとつではないでしょうか。
実際にはひとはなかなか「慈悲」を実感することはできないようです。むしろそれは、感じ・内面に育てていくものなのだろう。グループ・ワークを繰り返すことで皆さんや私自身の内に、慈悲が耕され育っていくとしたら……幸いなことです。


▼2005年1月の「新月と香りの瞑想会」は「1dayリトリート」として、朝から夜まで1日かけてユックリたっぷりと、「分かち合い」の場を作る計画です。(実際の新月は1/10(月)ですが、日程的に1/9(日)としました)
予定としては−−午前中の爽やかな空気の中でヨーガと瞑想、
午後に香りのグループワーク、
夕方は香りと共にシタール演奏を愉しみ、
最後に「トーキング・スティック」をもちいた分かち合いにつなげます。
様々な角度・チャンネルで香りと心の静けさを味わい、分かち合います。
その他アイデア・ご要望がありましたら、ぜひお知らせ下さい。心なごむ1日を愉しみましょう。

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