「ブログを続ける力」を読んで、コミュニケーションについて考えた

ブログ(WeblogまたはBlog)と「コミュニケーションの夢」ついて、この頃考えています。


パーソナル・コンピュータもWebも、1960年代に培われた自由や夢が発展して産み出されたものだ。
当時の象徴といえるアラン・ケイ氏ーー彼の描いたダイナブックという「夢」はたしかに美しいけれど……、
正直なところ「手に届きそうで、ナカナカ触れられそうにないもの」とも感じられる。
これが、デザインが容易で、検索エンジンにかかりやすい等の長所を持つーーブログという手段によって、誰にも可能になりつつある……という。
そうなんだろうか?


「ブログを続ける力」GEODESIC編著 九天社刊 は、多くみられるブログについてのハウツー本ではなく、「文化としてのブログについて書いた本」であるのが、まず素晴らしく、オススメです。


「ブログは、しばらくエントリーを続けていると(=記事を書き続けると)自分で考えたエントリーが発信している自分自身に問いかけてきます。
・誰に向かって発信しているのか?
・コメントがないけど不安にならないか?(=読者からの反応が無くても、気にならないか?)
・最初の勢いのままで、変化するブログの役割を見直していないのでは?
・まだブログを日記だと思い込んでいないか?
(略)技術に人間が試されているのではなく、そろそろ逆転を準備しましょう。
自分のテーマに合った機能を人間が選ぶ番です。」4p


そうだなあ〜。「こんなことができたらイイナ」という個人の夢から発想して、ブログという技術・手段によって何かを創れるだろうか。
この本では、発展中のブログの現状から、
わかりやすい・伝わる文章や写真で表現することの大切さ、
ブログをきっかけに意識改革をはかること、
ブログの変化する役割や、RSSフィードで情報を集めること、音声によるブログの可能性まで書かれています。


形式知」と「暗黙知」という視点で、ブログやWebsiteで表現しうることを腑分けしているのも興味深い。
形式知」とは論理的で、文章や数値、図式であらわしやすい、つまり「客観的」な知識であり、
暗黙知」とは、個人の体験の内で培われた、直感にもとづいた、つまり「主観的」な知恵・知識のことでしょう。


「現在、ブログでは暗黙知をいかにわかりやすく、魅力的に理解できるよう発信するか、工夫しているブロガーが増えてきたと感じます。
知識や情報は……普遍的なテーマと陳腐化するテーマが存在します。形式知暗黙知とも発信するタイミング、表現する方法の工夫が問われているのです。」p39


そう、自分が持っている「暗黙知」をいかにひとに伝わるように表現できるか?、
今ある技術をどう利用したら、「暗黙知」をさらに創造的に展開する表現となるだろうか?
私自身もこうして試行錯誤しながらBlogを作っているのですが、
なかなかうまく行けてなく、この点で耳がイタイです。


でもね。おそらくどこまで行っても、生身の人の持っているもの、身体感覚、感情、声、呼吸……に近似値にはなっても、「そのもの」にはならない。
直接合って話すこと・自分の手で触れること・実体験がやはり大切なのですよ。
アラン・ケイが自らのことを(プログラマーや技術者ではなく)ミュージシャンというのも、そのためだろう。


個人が「ブログ」を作るのは、それぞれに「コミュニケーションの夢」を持っているから、ではないだろうか。
この「コミュニケーションの夢」を抱えて生きているということ自体が、「究極のいとおしいこと」でもある。
電報、電話、携帯電話、e-mail…と時代と共にコミュニケーション・ツールが変化し、選択されてきたように、
Blogも現在進行形で「常に変化しつつある」システムであり、
「その先の何か」にまた変化して行くのだろう…。
このプロセスの中で、「何?」が花開くのか。


▼「ブログを続ける力」のWebsite http://blogway.weblogs.jp/kob/

▼アラン・ケイの興味深いインタビューがここにあります。
http://www.honco.jp/inter_os/page.php?issue=5
ブログを続ける力―Blogを続けるのに必要かつ大事なこと