秋の空 ブルーにこんがらがって ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝
「すべてがまちがいだったのかもしれない……そぼ降る雨のなかをうなだれたまま歩いた。もうもどらない心づもりでいた。
……わたしはステージから4フィートも離れていない位置でカウンターにもたれて立ち、
ジントニックを注文して、真向かいのシンガーをみつめた。
……迫力はなかったが、このシンガーにそんなものは必要なかった。
リラックスしてのんびりと、しかし、生まれつき附与された自然な力をこめて歌っていた。

何の前触れもなく突然のことだった。
まるでそのシンガーがわたしの魂に向かって、心の窓を開いて見せたように思った。
「こういうふうにやるんだよ」と語りかけているようだった。
その瞬間、わたしはこれまで経験したことがないほどすばやく、それを理解した。
どんなふうに彼が力を得ているのか、
そのために何をしているのかを感じとった。
わたしはその力がどこから来るのかを理解した。
彼の声自体が重要なのではなく、
彼の声をきっかけに、わたしは自分を取りもどしたのだった。」
ボブ・ディラン自伝」p181〜183


よく晴れた秋の空を見上げていたら……数年ぶりに、ディランの「ブルーにこんがらがって Tangled Up In blue」を聴きたくなったのです。
歌詞の物語りの中では、主人公が何度も、ブルーにこんがらがっていた。
乾いた荷車に、自分の胸肉を引きずられているような気分…。

ふと、ディランの「CHRONICLES Volume One」が邦訳されたのを想い出し、
公園の森を歩いて、駅前の地下の本屋で手に取ってみたのでした。

ディランの内で、「変化」が起きた瞬間ーー何が起こっていたのでしょう?
その前に雨の下を歩いていた時の「失望」ーーこれにはどんな意味があったのでしょう?
ひとの内面で起こる、奇蹟的とさえいえる変容とは何か?
血の轍       (紙ジャケット仕様)