映画「ノー・ディレクション・ホーム」ーー帰るべき場所を持たずに生きるとは、どうことだろう
マーティン・スコセッシ監督の製作した、ボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」を、見てきた。
ここでは、ディランの代表曲でもある「ライク・ア・ローリング・ストーン」が、
繰り返し挿入されているのが、意味ありげである。
「どんな気がする
ひとりぼっちで
かえりみちのないことは
ぜんぜん知られぬ
ころがる石のようなことは」
(訳:片桐ユズル)
ーーというわけだ。
「ノー・ディレクション・ホーム」というタイトルも、この歌詞の中から採られている。
「ホーム=帰るべき場所を持たずに生きる」とは、どうことだろう……。
ディランの元恋人スーザ・ロトロやジョーン・バエズ……いろいろな人のインタビューが収録されているのですが、
私にはこの中で、アレン・ギンズバーグ(ビート文学を代表する、世界的な詩人)が語っている言葉が、もっとも腑に落ちるものだった。
ギンズバーグは、1960年代にインドから帰ってきて、知人の紹介でディランの曲を聴かされて、「ただ涙がこぼれた」という。
そして、本質的なのはデイランの吐く息なのだーーとも。
そうだよ。
ディランの書く曲はフォークとかポピュラー音楽というより「文学」なのだが、
さらにエッセンシャル(本質的)には、
ディランという存在からほとばしる「息」ではないだろうか。
誰にも知られないで、
帰る場所も持たずに生きている
ーーそれは自由でもある。
自由にしか生きようのない人生、というのもアリ、だろう。
私の眼からも涙がこぼれ落ちる。ギンズバーグのように。
ディランという存在の、自由と孤独、そして狂気。
彼を包み、受け入れ、歓迎し……あるいは批判した、時代のエートス。
ディランが格闘していたのは、「時代の無意識」とも言えるものなんだな。
▼「ノー・ディレクション・ホーム」オフィシャルHP
http://www.imageforum.co.jp/dylan/index.html