その人自身の「剣」を抜くことーー映画「ゲド戦記」をみて
映画「ゲド戦記」を見てきました。
なるほど〜、これについて巷で批判されていることは
どれもこれも納得できるけど、
どうしてか?
私は涙を流してしまった…のです。
父王を殺して奪った「剣」を、
なかなか抜けない。
展開をみてると(たぶん最後には「剣」を抜くんだろうな…)
と予想できる。
それでも「抜け! 抜くんだあああ!!」と
心中で叫んじゃう私が、いる。
その人自身の「剣」を抜く物語。
つまり、その人のエッセンス(本質)をあらわにすること、
それを自分に「許可」することーー
これは私の「香りの個人セッション」でしばしば起こることと、
同じなんですね。
アロマでいえば、「セージ」かな。
父親との葛藤のプロセスを、
あからさまに映画という容れ物で表現した宮崎吾朗監督を
批判する人もいるみたいだけど、
いいじゃないの。
自分自身の「剣」を抜きなさいーー
まあ何より、オノレに向って言い聞かせてること、
なんですけどねえ…。ポリポリポリ。