涙という河の淵で、ひとと一緒にいること
たとえば時々、
こんなことがあるーー
目の前に座っている方が話している、
うすら笑いすら浮かべながら。
その時、私の眼から「涙」があふれて、
頬を流れて行く。
そのひとは、憤懣をぶちまけている時もある。
「自分が愛されない」と話している時もある。
私は自分の「涙」の意味はつかめない。
ただ、「涙」が流れるにまかせている。
そのひとは、フト気がつくーー
自分の内奥に
「涙」があった、と。
そのひとの「涙」と私の「涙」が、
なにか響き合って、湧いている。
それはセンチメンタルな「涙」では、ないだろう。
「ひとが生きる」ということの、
深層に流れている「涙」という河だ。
(いろいろツライことはありますが…)
こうして一緒に、「涙」を共有できるということが、
ありがたく思えます。
これもひとつの「輝き」である。