その人の存在が、美しい……



「お前(の存在)は、美しい……」
そんな言葉を10数年前の私は、口にしたらしい。
ギタリストで和光大時代の友人であるAZUMAGEDONが、
教えてくれました。


今週は2日ほど彼が泊まりに来たので、
空の大きく見える公園で、インタビューしていて回想されたことです。
そうかあ〜、
私はそんなことも言ってたんだなあ!
過去の自分の言葉に、驚かされてしまう。


「いいねえ」とか「カッコいい」とか、
azumaを表現する人はいたけど、
「美しい」と同性の友人に語ったのは、私だけ
……とも言う。
10数年前の自分が、
古い友人の「存在の輝き」みたいものをキャッチしていたことーー
これは我ながらワルクナイゾ。
チョット自分自身の感性を、
「評価してもイイカモ?!」
という気分になる。
フフフ。



でも本当に驚くべきなのは、
こうした出来事を記憶している、AZUMAGEDONの方ですね〜。


彼はかつて長いながい、「無為」の時間を過ごしていた。
しばしば大学から連なる丘陵地帯を、
午前中の光を浴びながら散歩したという。
社会一般の「流れ」から全く逸脱した、
からっぽの時間。


そんな彼の長い長い散歩=「無為」の時間は、
とても健全な自己愛に支えられているーー
と、私にはおもえます。
「私ハ、私ラシク在レバイイ」
そうした思い・ライフスタイルを支えている、
たしかな自己愛。


「これはウラヤマシイことだな〜」とも感じつつ、
先週から今週にかけて、azuagedonにインタビューしたり、
ストリートでゲリラ演奏&ビデオ撮影していたのです。