親にウツのカミングアウトしました☆


photo by kazuya Ono


私は高校に入った16歳の春から、38歳の冬まで、
「ウツ」の繰り返すプロセスと共に、生きてきました。


2008/1/5土曜、パートナーの真由美と実家に戻り、
「今までの人生で1番大切な話をします……」と、
初めて両親に話して来ました。
いわば1種の、「カミングアウト」ですね。


「ウツ」体験は、これなしに自分自身の人生を語れない
重要な1部なのです。



「真面目で手のかからない、静かな子供」とばかり親は思っていて、
私のウツとの葛藤には気づいてなかったのでした。
大学に進んで以降、20代から30代終り近くまで、
ほとんど3年に1度くらいしか親元も帰らず、
電話も少なかったでしたから、
私が「ウツ」とは予想もできなかったらしい……。


16歳の春から高2の前半まで1年半程は、
クラスメートともほとんど会話できない状態で、
授業もよくさぼっていた。
「灰色の砂漠」でしかない高校生活、
けれど働きづめの父と母には、気づきようもなかったのですね。


「相談する」という行為そのものが、皆目無い環境。
親に相談する……のも考えの範疇外だったし、
今のように高校や中学に心理相談できる先生も、いなかった。
「ひととオープンに話す」ことがまったく無かった、
私の10代とは、いったい何だったのだろうか??



そして、朝起きると……
目の前が「真っ暗」に感じられた、30代前半の私。
出勤途中、東京の真夏の熱さに、
「これはこの夏、生き延びられないな」と本気で感じた。
そして、からだが動けなくなり、
起きることも眠ることも、
目の前のコップの水を飲むことさえ難しくなった、
38歳の冬。



……それが巡り巡って今は……


朝の光の中、
静かな気持ちで目覚める自分が、いる。
「ひとと 深く 出会いたい」とか、
「ひとの可能性を、どうしたら引き出せるか」ということを、
メインテーマとして持っている自分が、いる。
こういう人間に180度、変化している。


思い返せば……私の人生が私らしい、
影もあれば光もある、
陰影豊かな色彩になっているのも、
「ウツ」があったからでしょう。


今の私にとって「ウツ」体験はネガティブなことではなくて、
たくさんの「学び」を与えてくれた、
感謝さえしている「豊かな体験」なんですね。
まだ両親が元気な内に「ウツと私の人生」について話せて、
「本当に幸運」とさえ、感じています。


「今まで、どうしてこれを話せなかったのだろう??」
とも不思議なのですが……
タイミングが熟してきて、
やっとやっと、「話せる時」が来たのでしょう……。




東京へ帰る電車に揺られながら、
30年抱えてきた大きな荷物をやっと降ろせた、
「解放」とも「虚脱」ともとれる奇妙な身体感覚を、
味わっていました。


私には……
自分が向い合っている「メインテーマ」がありますし、
理解してくれるパートナも横にいる。
これが生きる「意味」なんだろうなあ。


ただこれだけ、なのですよ。
ただこれだけ、あります。



▼よかったら合わせて、
「長く曲がりくねった、自己恢復(かいふく)の物語」もご覧下さい。
http://www.unfold.jp/bunpro/bunpro-2.html