ストーリーテリングの神秘性は、何重ものカオスから生まれているのではないか

昨夜は、2/23、24の【ストーリーテリング・ワークショップ第2回@新宿御苑前】を一緒に作ってくれた皆さんと、
「電話会議システム」を使った、振り返りとシェアリングのグループ・ミーティングを行いました!
参加してくれた皆さん、本当にありがとうございます。



そこで、「そもそもストーリーテリングとは何なのか? わかりにくい。わからない。」
という話題も出されていたようです。
ここについて、私としての考えを書いておきたいです。



私個人としては、「わかりやすい形でのストーリーテリングは、提案しなくても良い」ーーと、
実は思っています。
さまざまなバライティのストーリーテリング、「その方の語り」があって良いし、
わかりにくい面、矛盾がある面=カオスに、ストーリーテリングの神秘性があるのかもしれない。


「言葉にして出すこと」が大切であり、同時に「言葉にされてない面=ノン・バーバル」をキャッチできることも大切。


「スキル」も大切であり、同時にそれ以前の「その人の存在=ビーイング」も大切。


感情や身体感覚をドップリ感じることも大切で、同時に覚醒して、自分を上方の視点から冷静にみていることも大切。


「語る人=ストーリーテラー」ももちろん大切であるけれど、聴く人がいなければ「ストーリーテリングという場」も生まれない。


聖なる存在でもあり、また愚者でもあり、そして知者であるように。



ディープなストーリーテリングは、一筋縄ではわからない、
複雑性、カオス、神秘性の中に息づいてあるのではないか。



もっとも、こうして「複雑好み」であることは、現代においては受け入られにくいでしょう。
多くの方は、わかりやすい方法論を求めらているから。



それでも、イイジャナイですか。
ストーリーテリングの複雑性、カオス、神秘性の内に、
耳をかたむけて、聴き入ってみたい。



そして、自己開示的に「自分とはどういう人間か」と人前で語り、みんなでそれを聴くことには、
「心を癒すセラピー的効果」もあるようです。


私個人はストーリーテリングを、セラピーのためにというよりも、
実用に使える技術としてご提案したいのですが、
おだやかに、心を癒す効果も、
ここにはたしかにあるみたいです。



>>詳しくは共感コミュニケーション&コーチングHPをご覧下さい http://www.holistic-coach.jp/index.php?cmd=read&page=%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%81%AB%E6%B4%BB%E3%81%8B%E3%81%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97&word=%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


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