「自分らしく生きること」と「この社会に適応すること」

「べてるの家」のビデオとグループワークの会がありました。
ここで私が気づかされた1番大きなことは−−こりゃつまり「社会適応」のことだな、ということでした。
「社会適応」のこととは、「自分らしく生きること」と「この社会に適応すること」を統合するのがなかなか難しい、ということです。

私やこのプロジェクトを進めてきた仲間達が「べてるの家」に何かを感じたり期待したりするのは、精神障害アルコール中毒の方達が独特なスタイルで、「自分らしく生きること」と「この社会に適応すること」を統合している−−とみえるからでしょう。
これは「べてるの家」だけではなく、どなたにとっても大きなテーマです。

私個人にとっても長く葛藤してきたメインテーマですし、私の仕事はつまり、植物の香りを仲立ちとして、「自分らしく生きる道」を模索するサポートをすることですから、仕事そのものでもあるわけです。

これはなにより、性急にではなく、時間をかけて求めていくしかないことでしょう。
そして私としては、まずは先に、「自分らしく生きること」とは自分にとって何か? を探ったらどうか−−と言いたくなります。
(これだけでも実に単純ではない、のですが)それを確認・実行した上で、
現実社会に生きる中で鍛えられて行くでしょう。

本当に本気で、「自分らしく生きよう」と決心しないと始まらない。
中途半端では無理なのです。
「自分らしく生き」て、飢え死にするのならば、それも受け入れるしかないだろう。−−やさしい言い方ではないけれど、そうおもいます。
(実際に昨年の今頃、私はそうした極端な貧困状態を経験しましたし、
「好きな仕事をやっているために、今の東京で飢え死にする奴が1人くらいいてもいいだろう」と観念したこともあります。―

やさしくないし、遊びがないし、余裕が足りない、とも感じます。
私自身のこととして、もうちょっとインナーワーク(洞察)すると……
こうした「厳しい面」と、(相反するけど)やさしくおおらかに「抱える面」と両方を持つ、という課題に今向かい合っている、のが分かりました。

黒崎さんのWeblog「違った視点で眺めてみよう!」にも、昨日のことが紹介されています。こちらの方が全体を良く伝えているなあ。