「かっこいいということは…」の公案

夜10時、山梨の友人N君に2年数ケ月振りに会い、酒を呑む。
彼と会うと話は、舞踏や日本のアンダーグランドなロックを経て、
「かっこいいということは、なんてかっこ悪いんだろう」という早川義男氏の言葉に、決まって行き着くのだった。


正確には、「かっこいいということは…」と言おうとしているのに、「かっこ悪いということは、なんてかっこいいんだろう」と言っている自分がいる。
泥酔しているわけでもないのに、いつもそう反対に口走ってしまう。
そして「かっこいい」ことも「かっこ悪い」ことも、自分の中ではなんだか分からなくなる。
これはいったい、どういうことでしょう??


今の自分は正直なところ、「かっこよく」ても「かっこ悪く」てもどっちもアリじゃないー−と考えているのですが……。
ひとはどうして「かっこいい」ことにこだわるのだろう?


例えばこれを書きながら、プリンス達によるジミ・ヘンドリックスへのトリビュート盤「パワー・オブ・ソウル」を聴いている。
ジミ・ヘンの存在を「かっこいいな」と、たしかに感じている自分がいる。


さらにいえば、ひとはどうして「イケてる」ことにこだわるのだろう?
どうして「勝ち組であるか/負け組であるか」こだわるのだろう?