慈悲・利他・コンパッションについて


あらためて、「慈悲」とは何だろう?
日本や今の世界では、あまりにも「慈悲」がないがしろにされている。小学生による殺人事件とかあると、そう思わずにいられない……。


だがこういう私自身、もともとの資質としては、他者への慈悲を感じにくい人間でありました。だからこそこれから、「慈悲、利他」を自分のテーマとして向き合わなくてはならなくなるだろう……と予感しています。


私の個人セッションで使う“Scents of Knowing”においては、調合の中心になっている香りのひとつとして、3種類のロータス(ブルー/ピンク/ホワイト)がある。
ロータス(蓮の花)とは、慈悲・利他の象徴。この香りは、「香り」というよりはむしろ「エネルギーそのもの」として、存在感のあるものです。
私の場合、香りに「慈悲・利他とは何か?」を学んでいる所もあるようです。


だが「慈悲・利他」とは、感傷に浸ることばかりでないだろう。ここには憤怒もまたあるのでないか。
今日また、イスラエル南部でのハマスによる自爆攻撃(16人が亡くなったそうです。そして私は「自爆テロ」ではなく、「自爆攻撃」あるいは「民衆蜂起」と呼びたい者なのですが…―)のニュースを聴いて、またそう思う。
「慈悲・利他・コンパッション」とは何か−−人類はこれを洞察しなくてはいけないのです。感傷ではなく。