何が、すぐれた香りか


Macのトラブルが続いていて、ここに書き込むのが遅れてしまいました。今月のメルマガとして書いた文章です。
ご感想・ご意見などありましたら、教えていただけると、とても有り難いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


●何が、すぐれた香りか
机の上にマウイ島から届いたばかりの、センツ・オブ・ノーイングのグリーンのボトル達が並んでいます。
これらの精油を前にして、「何が、すぐれた香りか?」−−という、シンプルでありながら、実はなかなか応えられていない問いについて、今月は私なりに書いてみましょう。


例えば、ブルー・ロータス=青い蓮の花の香りをかいでみる時、
それは「香り」というより「エネルギーそのもの」として、ひとの前に立ちのぼっているのがわかります。
あるいは蒸留したばかりのローズオットー=バラの花の香りをかいだ時、
目の前に朝露に濡れたバラの花が開いているのがわかり、そのみずみずしさ・潤いがリアルに伝わりました。
本当に質のすぐれた香りは、単なる香りではなく、「生命」そのもの、存在として「息づいて」いるようです。
ローズもロータスも何万枚という花弁を集め、蒸留して、ひとしずく精油が得られる−−それはまさに、植物達の「エッセンス(本質)」の凝縮です。


またすぐれた香りは、複雑性があり、さまざまな表情を持っていて、一様ではありません。奥行きや立体感さえ、香りの内に感じさせてくれるものです。


今回マウイ島へ旅して確かめられたのですが、ジャック・チェィトマン氏の蒸留する精油は、「世界でも特別なもの」というしかありません。そこには技術的なマニュアルはほとんど存在せず、純度の高いガラス製の蒸留器の中の、植物から揮発する「煙」をみつめことによって、ジャック氏の無意識と植物達が交感・交流することによってのみ、得られたものなのです。
効率重視の普通の精油メーカーでは、実現しようのない品質であり、
この香りをかぐことは、「植物の生命と出会う経験」とも言えるでしょう。


それは、「本当に質のすぐれたものと出会うことが大切だ」と教えてくれているようです。
でも、ほんのチョッピリあれば充分なのです。
本当にすぐれたものと出会う経験は、ひとの感覚・直観を根底から深めて、「世界と自分の関係」さえも一新するでしょう。


●植物の生命と「対話」する
資本主義の流儀に慣らされすぎた私達は、商品棚に並べられた精油のビンをながめて、それをお金で買える「モノ」と見てしまいます。
いや確かに…それはお金と引き替えに手に入れられるのですが、
本質的に精油は「生命」であり、「モノ」ではないのです。「生きもの」なのです。


ですから精油をあつかうには、「生命」「存在」と向かい合う礼節と、一期一会への覚悟を持たなくてはならない−−とも言えるでしょう。


そして、「生命」である香りと「生命」である自分が、対話することが重要です。
対話という関係の中でこそ、気づきや学びを得たり、受け入れられ、深い安心の中でくつろぎ、自己を豊かにできるでしょう。
話しが大げさになってしまったかもしれませんが(笑)、これが「香りを聴く」ということです。

                                                                                                                                              • -

このメルマガ「香りの旅からの便り」をご希望される方は、私にメールを下さい。bun_tao@yahoo.co.jp
バックナンバーは、ここにあります。
http://www.ne.jp/asahi/bun/tao/newsletter.html