「お年玉から、零れるもの」


私が、「身心一如のアロマセラピー」の実践・研究の中で知り得たことを、ニューズレターあるいはメールマガジンの形で、お伝えしています。
ご感想・ご意見などありましたら、教えていただけると、とても有り難いです。


●お年玉から、洞察する
「お年玉」について考えていた。
自分なら、子供達にお金をあげるよりも、対話をしたい感じがあるなあ。こんな時代だから、なおいっそうのこと。
例えばーー「私たちは『何』によって生きているのか?
『何』によって生かされているのか?」という問いを、子供達にきいてみたい。
アロマセラピーとは、一見つながりがないようですが……)


こんな風にものを言うと、なにかエラそうに聞こえるでしょうか……。
簡単に答えがみつからなくて良いのです。
戸惑って良いのです。途方に暮れて、立ちどまっていて良いのです。
じっくり、その「問い」の内に一緒にいられれば……とおもいます。


フト、気がつきましたーー私は父が27歳の時の子供であり、
父が現在の私の年齢=43歳の時、私は15歳から16歳だった。その頃私は高校を受験した春休みからひどいウツ状態に入り、高校2年の中頃まで長く真暗な時間の中にいたのでした。
つまり、今までのところ生涯最悪のウツのプロセス。白い灰の砂漠の中にいたような、今もって「あの頃の自分にだけは帰りたくない」時代と環境。
あの頃と同じ15歳の子供を持っているとしても不思議ではない年齢に自分がなっている!!ーーということに、気がつきました。
私の内では、ナニカ?「時代がひと巡りした」ようなのです、


私は反抗期がとてもとても長〜い人間でした(チョット笑っちゃうかもしれません)。
10台の前半から20台、30台の後半まで30年間近く「反抗期」を生きていた。
父に対して、権威に対して、社会の主流派の価値観に対して、逆の姿勢をとることが自分のパターンになっていた。
少し前、何かの話の折りに父がもらしたのですーー「(そんなに苦しんでいたのなら)なぜ相談しなかったのか!」と。
私からすればーー両親に相談することそのものが、論外であり想像の範疇外だった。
「そもそも、あなたは相談できるような人だったのですか」と、正直な話いぶかしく感じました。
あの頃の自分の周りには、相談できる人間なんて誰もみあたらなかった。
こんな自分を憐れんでいるのではありません(キッパリ)。私の今は、あの頃の経験が原動力となっているのですから。
ただ、子供たちの前に、「胸をオープンにした大人」の存在が必要、と思うのです。


子供たちに、彼らを受け入れる「社会」を準備する前の世代や、さらに前の世代が、
あまりにも無責任で、思慮が無さ過ぎる。「聴く耳」も「心」も持っていない。
子供たちにお侘びしたい気さえするのですが……、
じっくりと、「問いの内に一緒にいる存在」として、私はいたい。
カッコイイ答え、きれいごとの答えでなくていいのです。
「私たちは『何』によって生きているのか? 『何』によって生かされているのか?」と問うたら、子供たちはどんなことをみつけるだろう? ひとりひとり、まったく違う何かを発見できるかもしれません。
ーー1年の終りと始まりに向けて、そんなことを感じていました。


付記・アロマセラピーに話を戻せば、「エッセンシャル・オイル」と呼ぶ時の「エッセンシャル=精髄、本質、実在」とは本来何か?ーーということを考えたいものです。
「エッセンス」という言葉は日常の中によく採り入れられていますが、精髄、本質、実在について私たちが、哲学的・歴史的に(あるいは直観にも基づいて)よく知っているーーとは言えないのではないでしょうか。
ここが、「私たちは『何』によって生きているのか? 『何』によって生かされているのか?」という問いにも繋がっています。