涙転じて、塩むすびのインナーワーク


「トーキン・スティック」について、その後もずっと考えているのですが、
今日はこんなことを感じていました。

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先週の後半くらいからだろうか…、自分の内側を感じていると涙が出そうになって仕方がない。
ひどいイライラと悲しみに、飲み込まれてしまいそうになる。実際年末からずっと、午前中の仕事の残業が多くて、身体は疲労困ぱいしている。


この「涙」をインナワーク(洞察)してみることにする。
「涙」を受け入れ、起こってくるそのままに感じてみると、それは高まりというより広がって、むしろ波打ち際のように感じられる。


その「波打ち際」にそのまま佇んでみる。
すると、「私は必要とされているのだろうか」「私の存在は必要なのだろうか」というつぶやきが、そこにあるのがわかる。
これが、ここ何日かの私の悲しみの底にあったんだな。


さらに、そのまま感じてみる。
「私は……ある。」
「私は、ある」という小さな青い小石のような存在が、波打ち際で潮に洗われている。
「私は、ある」
「私は、ある」
呼吸の吐く息と吸う息と共に、腰から上の身体がかすかに前後に揺れ始める。
ブランコが揺れるように。
「私は」と、息を吸い込みつつ上半身のブランコは後方に動き、
「…ある」と、吐き出しつつ前方に動いているようだ。


「私は、ある」
それだけは否定しようのない、そのままのことだ。小石のように。
「私は、ある」
これは、塩むすびのようなものかもしれない。
ご飯にただ食塩だけをつけて手の平で握った「塩むすび」。


パチン! その瞬間、台所で炊飯器のスイッチの音がして、玄米が焚き上がったのを知らせてくれた。
「そうだ。」
口の中で唾液が溢れてくるのが、わかった。