老親と話すこと2ーー父の変容

この帰郷して収穫だったのは、「父が変わった」あるいは「(私)父の見え方が変わった」ことだったのですーー。

久し振りに会った父親は、妙に味わいのある爺さんに変ぼうしていたーー
心臓病のリハビリをかねて毎日、利根川まで往復5kmの散歩を日課にしているのですが、その道すがら1日にひとつ、善いことをするようにしている、という。
「この間は、通りがかりの女子高生の自転車の、チェーンが外れていたのを直してあげたよ」と笑っている。

3歳で実母を亡くし、足の病気のため小学4年で留年した父は、
勤めていた会社も2度、倒産したりして、「苦労と挫折感のデパート」のような男だったのだ。
「人生は、うまくいかない」という信念を繰り返し繰り返し、この父と母から私はすり込まれてきたのだった。

「ひとは生かされているものなんだな」と父。
こんな風に変わっているとは……。
私はゆっくりと、言葉を彼の深い意識に届けるように応えた、「そう、だ、ね〜」。
「お前が、墓参りに来てくれる……」と呟きながら、父の目からは涙がこぼれていた。
彼もまた、私の変化を感じているらしい。

なぜか右目が黒く翳った、三角形になっているようだった。
ぼんやりと内界をみつめる目、左目はしっかりと外側をみすえつつ。
「こりゃ、悪くないなあ…」と、私はひとり合点していたのです。
父という人間に関心が湧いてきた。尊敬と言ってもいい感情が、少しずつ生まれてきた。
いわば、「慈悲 コンパッション」について教えてくれる師匠が、
「こんな所にいるじゃないか」とおもえた。