『自分のワーク』を深める

自分のワーク
本当のことを伝えたい……そして皆さんからも、「真実の声」を聴かせて頂ければ、幸いです。
実はこの春からずっと、「自分のワーク」=自分の思い込みや行動パターンをみつめ、気づこうとする洞察を自主的に続けていて、
「『自分のワーク』というのは、ちょっと考える以上に深遠なものダナ〜」と感じます。
心理的なセラピーを学ぶ過程ではこれが必要とよく言われますが、
「自分のワーク」とは本当に、なかなか触れられないくらいの意味深さがある、ようです。

ホリスティック(身体・心・魂、全体的な)セラピーを志向する方にとっても、やはり「自分のワーク」は必要ーーと私は考えます。
自分の思い込みやパターンを自覚できていなければ、その「わく」の中でのみ世界をみるからです。
気づかないまま自分の「思い込み」をひとにも当て嵌めて、押し付けることにもなりかねない。


もっとも、内面に穴をひたすら掘ればいいーーというものでもないのです。
過去の記憶や感情に浸り込んでしまうのは、「健全さ」から離れやすくもなります。
いいバランスで行うことが、心の器量を大きくしてくれるでしょう。


「思い込み」を赦し・手放す
例えば私の場合では……「誰も助けてくれない」という思い込みが、ひとつありました。
幼い頃に両親から、「自分のことは自分でしなさい」と躾けられたのでしょう。これを「誰も助けてくれないから、自分でなんとかしなくては」と受け取り、思い込んだようです。過剰に自立しようとする、寝小便しない子供でした。
成長した後も、この思い込みは自分のさまざまな行動に影響を与えているのが、わかります。
共同作業が苦手ですし、何事も1人でやってる方が気楽な性分です。
素直にひとに協力や助力を求めることができなくて、何年間も悶々としたりしていました。


幼少期の親の言動や家庭環境、周囲の人達との関係が、だれもの内面にこうした「思い込み」を作って、現在の自分の行動や考え方に知らず知らずの内に影響しています。
これは無理もないことでもあるのですーー幼い子供は、周囲の環境と関係する中で「○○してはいけないんだな」「○○した方がいいんだな」と学習して、自分を形成していくのですから。


大人になれば人は、こうした「思い込み」から距離を作って・冷静にみることも可能になっているのです。
行き着くのは(もしできれば…)これらを赦して・手放すしかないーーのではないか。
「思い込み」を抱いた自分自身をゆるし、
「思い込み」を作らせた親をゆるし、
他人をゆるすこと。
その果てに、「思い込み」から自由になった自分が、ゆったり深呼吸しているようです。


●流れの中では、いろいろアルのです
おそらく私たちは、長いながい流れの内を生きている。
世間では、さまざまな「資格」だったり、「スクール」だったり「認定」などに忙しく、どうしてもそちらに目が向かってしまいますが、それらはひとつの「かたち」でしかありません。(もちろん「かたち」もまた大切ですが)。


「資格」や「認定」を得たとしても試行錯誤を繰り返して、いったんは自分の選んだ道を「中断する」こともあるかもしれない……(私自身、そうなる可能性がありえます。エラそうなことは言えないですね。)。
まったく思いがけない方向に、自分が変化していくかもしれない……。
そうした長い流れの果てに成熟して、「自分にとって、ほんとうに大切なもの」をみつけるのでしょう。
あるいは「中断」の後にもう一度「その道」に帰ってくるかもしれない……その時こそ「ほんもの」なのでしょう。


その基点にあり、また「流れ」を生きる中で求められるのはーー
穏やかにリキまず自分をみつめ、「自分のワーク」をたゆまず続けることーーと思うのです。