「無為」から立ち現れる自己への気づき

昨日の朝起きたら、なんとなく気分が重かった。久々の「出社拒否」状態。
いや「出社」ではなくて、9/17(土)から3日間、ハコミセラピスト認定コース(レベル3)の最終日だったのです。創始者のロン・クルツ氏を迎えた、貴重な機会というのに…。

気分を取り直して、出かけました。
(詳しい内容はプライバシーの問題もあり、私の感じたことしかここでは書けませんが)
時間が経つと共に、ナゼだか? 心が晴れ晴れスッキリしてきた。
この所感じていた、ハコミへの「モヤモヤした想い」が洗い流されたようだった。

「陰」極まって、「陽」に転ずーーということだろうか。
例えば「マインドフルネス(リラックスした意識状態のこと)」とか、ハコミ特有のキイになる概念がいろいろあるのですが、
今までの自分には、それにごく薄い被膜が被さって見えていたのが、
取り払われて裸で風にさらされているようだ。
視界そのものが刷新されて、自由になれたような…、
同じ「マインドフルネス」という言葉でも、ビミョーに新鮮な感触があるような…。


ロンさんのアプローチも、いっそう「静か」でありながら印象的なものになっていた。
大げさな介入はなく、「静けさ」の中でひとの内にある感情が立ち現れてくるのを待ち続けるのですが、そこにはひとの持つ潜在的な可能性が芽吹くのを、自然に促す「空気感」があふれている。
彼のデモを横でみていると、「これはいったい何が起こっているのだろう??」と不思議さの内に取り残され、同時にこれを心地良く味わえた。


「私は今、考えることができない」と誰かが言えば、
彼女(ハコミ・セラピスト)は、「そんなことはない、あなたは考えることができますよ。さあ、考えてみましょう」と言うのではなく、
「考えることができないという、あなたのその部分に耳を傾けてみましょう。
きっと何かを教えてくれますよ」と言うでしょう。

……(ハコミ)セラピストは、プロセスに何かをを付け加えようとしません。
プロセスとの出会いや交流を促進しようとするだけです。
こういう態度は、無為のひとつの表現なのです。」
「ハコミセラピー タオイズムと心理療法」グレッグ・ヨハンソン+ロン・クルツ著p14

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