「ひとと 深く であう」ワークショップpart1 を了えて


昨日は「ひとと 深く であうーー存在の輝きをわかちあう Part1」ワークショップ」
http://www.unfold.jp/new-ws/new-ws0612-3.index.html
を行ないました。
参加された皆さん、ありがとうございました。
そして当日参加はできなかったけれど、関心を持っていただけた方々、ありがとうございます。


今の時点でのーー「ひとと 深く であう」についての、
私の覚え書きを書いておきたい。



「ひとと 深く であう」ーーそれが、私自身の人生に長く関係してきた、
大きなテーマのひとつ、と気づいた。
それがおそらく、他の方にとっても重要なテーマではないかーーと推測して、
私なりにプログラムを組み立てて、
まずは体験の1日を作ってみました。


……こうして実際にやってみると、
あらためて「ひとと 深く であう」とは、どういうことだろうか?
と、わからなくなる所もあるようです。



「であう」とは??


「深く」とは???


もしかしたら、「ひとと 深く であう」ことには、
ひとそれぞれの方法・スタイルがあり得るのですね。
私などは、もっぱら言葉をもちいて、
「ひとと 深く であう」こと自体を掘り下げ、つかもうスタイルです。


対極的に言葉なく、ただひとの横に座っていて、
「ああ この一緒にいる感じ……なんだか、いいね〜」
というスタイルの方も、おられますね。
(私は、この「言葉ないスタイル」も、大切にしたいのですよ。)


ひとの数と同じくらいの、「ひとと 深く であう」が、
あるのではないでしょうか。



そこに気づかされると、
自分が足を踏み入れた「世界」の奥深さに、
ちょっと恐れおののきも、感じます。


自分の力量の足りない部分が、
少なからずあるのに気づかされて、
ひそかに背中に冷や汗をかく所も……。



私なりに洞察しますと……
「ひとと 深く であう」のに、
「あぁ〜 自分は これでいいのだ」と感じられる状態が、
結び付いているようです。


その「自分」は端があいまいになっていて、
「誰か/外部」とシームレスにつながっている。
「我」のとらわれから自由に放たれて、
「自分でもあり、自分でもない。
自分だけではない自分」。
そして「これで いいのだ」と、
やすらいで、息をついている。