父の人生最後の3日間を看取るーーそのミラクル、学び、気づき


↑「湯かん」過程の中での、私と父。
温泉で「イイ湯だな〜〜」みたいな表情を、父はしていました(苦笑)。



いろいろな「奇蹟 ミラクル」が重なって……
父の今生での最後の3日間を、すぐ脇にいて、
「看取り」を完了することを、私は今回できました。


親の末期ガンと向かい合い、
死を迎え、葬儀をする一連の過程は、
沢山の「学び」や「気づき」に充たされているものでした。


私のmixi日記http://mixi.jp/show_friend.pl?id=42368 でも、
随時アップしておりましたが、
ここでもまとめてご報告させて下さい。



父が体調の違和感を訴え始めたのは今年GW以後……、
そして6月終わりに膵臓ガンがみつかった時には、
すでに肝臓、肺、骨等にも転移していた「末期」でした。


そうして最終的には、
親戚関係でもある、実家近くのO病院にお世話になっていたのですが、
父の場合はひじょうに急速にガンが進行し、
1日ごとにみるみる悪化・衰弱して行きました。


私も10日毎くらいに東京と病院を往復していたのですが……
母から「呼吸困難状態なので、すぐ来て」という電話を受けたのは、
8/14夜8時過ぎでした。


とるものもとりあえず妻と病院に向かうと、
呼吸は安定して戻っていたのですが、
この2日、3日間が「特別な時間」になりそうな予感は、
私にも感じられたのです。



翌8/15午前中に主治医のT医師から「最終的な段階に入っている」という説明があり、
心臓の辺りの「痛み」を訴えている父のために、
私はモルヒネ系鎮痛剤の投与をお願いしました。
ガンの末期では「激しい痛みを緩和すること」が、最優先となるからです。


8/15午後からは、内服の鎮痛剤に加えて、モルヒネ系鎮痛剤の点滴を開始。
同時に様子をみながら吸入している酸素を、序々に増やして行きます。
これも微妙なバランスらしいのですが……
父の場合は、このモルヒネ系鎮痛剤と酸素がとても効を奏したようです。
「痛み」からほとんど解放された、
静かで、穏やかな表情に変わりました。


同時に「意識レベル」も低下して行き、
こちら側の呼びかけには応えられない状態になります。
激しいイビキのような音をたてながら、
身体全体で呼吸している父のベッドサイドで、
私は父の「吸う息」と「吐き出す息」の様子を見守っていました。



父の「呼吸」を丁寧にみていると、
そのパターンがどんどん変化しているのがわかりました。
私が着いて3日目の8/16午後には、
小さく「スッ」「スッ」「スッ」と吸い込み、
大きく「ゴ〜〜」と吐き出す呼吸パターンとなり、
徐々に血圧が低下して行きます。



そして夜8時50分頃、
吸い込む呼吸が、口の中だけの小さな動きに変わりました。
看病疲れで居眠りしていた母の肩を揺さぶって起こし、
振り返ると……
父の最後の呼吸の一瞬でした。



ひとが息をひき取る「まさにその瞬間」を、
私は、はじめて目のあたりにしました。
享年76歳。



父の最後の3日間に丸々付き添えたことを、本当にラッキーと私は感じています。
このタイミングでなければ、自分の仕事の都合もあり、
こうしてすぐ横で看取ることはできなかったでしょう。


そしていくつもの奇跡的な幸運が重なったことで、
こうしてじっくりと、父の最後と向かい合うことが、
実現できたのでした。



この夜は1人だけで父の遺体に付き添い、
翌8/17には湯かん、納棺、通夜、通夜振る舞い、
8/18には葬儀、告別式、初七日、荼毘、精進落としまで……、
はじめての喪主として体験しました。


末期ガンのケアから死を看取り、
葬儀を行い、その後の生活まで見通すことは、
とても沢山の「学び」や「気づき」を与えてくれる体験でした。



私達にとって「死」とは、本質的に何なのか?



「死を看取る」とは、どういう体験か?



人間にとって霊性、宗教性、スピリチュアリティの「根源」とは何なのか?



そして「生」とは、より全体的で大きな宇宙(ホリスティックなコスモス?)からみる時、本質的にいったい何であるのか?



……あらたな「問いかけ」が次々生まれてきて、とまらないのです。



mixiに書いていたリアルタイムの日記もあります。
よかったらこちらのリンクも、ご覧下さいね。


そしてコメントをいただいた皆様、本当にありがとうございます。
コメントへのお返事が遅れてしまい、申し訳ありません(ペコリ)。



●2009/07/13「父の末期がんと向かい合う」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1224079207&owner_id=42368&org_id=1225178538


●2009/07/14「末期がんの父と、インフォームド・コンセントをおえて」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1225178538&owner_id=42368


●2009/07/30「人生はドラマより劇的で、狂おしい嵐のように」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1240500994&owner_id=42368


●2009/08/15「これが、父の人生の旅の最後の山場なのだろうか」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1255983579&owner_id=42368


●2009/08/16「これが父の人生の山場その2」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1256425279&owner_id=42368


●2009/08/18「父の彼岸への旅立ちを看取りました」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1258321109&owner_id=42368


●2009/08/19「『16歳のウツの自分』『インナー・チャイルド』『今の私』が故郷の町を歩いてみれば」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1259468561&owner_id=42368



☆☆☆



死後の父親の頭部を、自分の両手の平で触れて・持ち上げることが2回、
葬儀の過程の中でありました。


自分と本当によく似ている、丸坊主の頭蓋の「重さ」や「質感」を、
自分の両腕で感じ・味わいました。
そんな過程でどうしてか私は……
室町時代風狂の禅僧「一休 宗純」を、思い出していました。


伝えられている一休の表情は、
私自身にも似ているようであり、
奇妙なくらい、父にも似ているからです。



そして一休の残した「道歌」では、こんな風にうたわれていますーー


本らいも なきいにしえの我なれば
死にゆくかたも 何もかもなし



はじめもなく をわりもなきに わがこころ
うまれ死するも 空の空なり



そのままに うまれながらの心こそ
ねがはすとても 仏なるべし



●ウイキペディアでも「一休」をご覧下さいね。
よく似てます〜〜(苦笑)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91


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