自分の中にある毒


昨夜、フトしたことから、「自分の中にある毒」に気づきました。


きれいごとではない、イジワルな部分が、たしかに私にもある。
これに無自覚でいると、ちょっとした拍子に、ひとに小さなイジワルをしたり、
実にいろんな「毒」の部分が、私にもある。
イメージでいうと……「魔太郎」だろうか(という漫画がありました。古スギルナ…)。
そういえば私は、「デビルマン」も「バイオレンス・ジャック」も好きだったのだ。


たとえばもしも、父親が寝たきりになり、介護する立場になったら……と想像してみる。
面倒をみつつも、「虐待してしまうのではないか」という怖れが、ある。
父に対する反発や怒りの歴史を、まだ十分に乗り越えてはいないから。


とはいえ、自分の「毒」を無視すれば、現実の社会に実際あるさまざまな「毒」をみつめることもできなくなるだろう。「毒」は日常茶飯に、ありふれてあるものだ。
むしろ、「自分の中にある毒」の部分を受け入れ、それを時には味わってみる必要があるのだろう。
慈悲やコンパッションを考えることは、「毒」を避けることではない。


皆さんはどう思いますか?