「文化」ってどういうこと、なんですかねえ


散歩の途中でもらってきた、「88」というフリー・ペーパーの最新号を読んでいて、古巣へ帰ったような、シンミリしたような気分になる。
私達の、「文化」ってどういうこと、なんですかねえ…。


沖縄の西表島で、伝統的なスタイルで米作りをしている男の写真が、印象に残った。
田んぼの縁で合掌する、男の背中の写真−−田植の前には、ススキをたてて神様に祈るのだという。
そして、夕暮れ時に三線を奏でて唄う、初老の男のポートレート−−陽に灼けた赤銅色の裸の上半身に、チカラが感じられる。一杯の泡盛を前にして、1日の仕事の終わり、だろうか…。


そうだよな。種をまく時にも稲を収穫する時にも、祈りや歌や踊りと共にあるのがやっぱり自然だろう。
そして自分の生活を振り返って(もちろん、農業とは切り離れされた日常なのですが)感じるわけです。
「文化」って何だろう?−−と。
わたしたちは、「自前の文化」をつむいでいるだろうか?


農を実践すればいい−−というものでもないだろう。街に住んでいても「自前の文化」を生きることはできる。言葉をつむぐことや、人と人を結び合わせること、旅をすること、自分の足元を掘り下げること……等を通して。
こういうセンスって、友人で占星術師のるしえる君や私にとっては、ずっと昔(1980年代前半)に親しんでいたことだけど(おそらく「88」を作っている方達も同世代と思われます。そこには、ちょっと「タメ息」も混じっているのですが…)、「今」のこの観点からもう1度、考え直してみることも必要なのかもしれないな。
つまり、自分の足元から「自前の文化」をくみ出し、息吹をふき込み、展開(unfold)すること。

●参考Website ここで「88」のバックナンバーを読めます
http://www.wacca.com/88/main.html