ファシリテーションーー存在のあり方のアート

bun_tao2006-12-04



「ファシリテート」=グループでのワークにとっての「進行役」とは、
本質的に何だろう??
私にとってそれは……
「存在のあり方のアート(技芸)」と、まず言えるようです。


その空間で、「私が何を行なうか/起こすか」が、
問われているのではない。
おおむね私達は、「自分が何かを行なう」ことに、
囚われ過ぎている。
教育や親、周囲の環境の中で、それを求められ、
植え付けられてきたからでしょう。


「自分が何事かを、おこなう」ことから、
自由になる。手放す。
「気づき」や「今まで知らなかったことの顕れ」は、
ひととの「間」で、しばしば起こって来るものだ。
変化し続ける「流れ」の中で、産まれてくるものだ。


グループの参加者は、例えば太陽系を構成する、
それぞれの惑星のような存在ーーといえるかもしれない。
それぞれ独自の「重さ」、「引力」を持ち、
独自な「軌道」を描いて動いている。


ファシリテーター」とは、その「場」に充分に存在しながら、
この太陽系全体を見渡し、覚醒している者だろう。
惑星それぞれの描く軌道の、
あわいから聴こえてくる「呼吸」、「声」、
そして「バイブレーション」に、
耳を澄ましている者だ。


それには何より
自らのアウエアネス(覚醒)が確かであることが、
求められてくるでしょう。



ファシリテーターから、はなたれる光には
「いつくしみ」の色合いがある。
「愛」というよりも静かな、
「悲哀」や「憎しみ」、
「狂気」や「死」とも
ただ一緒にいる「いつくしみ」の光。


「存在のあり方のアート」とは、
「いつくしみ」の光におおわれた存在。



「自分が、何事かを行なう」ことから、自由になる。
その時ひとは、何ひとつ持たず、
ただ道を歩き続けるだけだろう。


「ふところ」はカラッポだが、
誰もがそこを訪れ、
重荷を降ろし、ひと休みできるだろう。


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12/10(日)の「ひとと 深く であうーー存在の輝きをわかちあう Part1」ワークショップの準備をしていて、
あらためてグループワークのファシリテートについて、考えました。


私にとって理想のファシリテーターとは、ハコミセラピーのドナ・マーチンさんなのですが、
彼女のファシリテートのエッセンスについて書こうとしたら、
こんな文章になってしまいました。ナハハ。


これは2006/12/04時点での、ファシリテートについての覚え書きです。
ドナさんには遠く遙かに及びませんが……
こんな気持ちでファシリテートしますので、
関心をお持ちの方は、ぜひご参加下さいね


●「ひとと 深く であうーー存在の輝きをわかちあう Part1」ワークショップ 12/10(日)午後1時30分から
http://www.unfold.jp/new-ws/new-ws0612-3.index.html


▼お問い合わせ・お申し込みはこちら bun@unfold.jp 0422-43-8166

▼写真は、小野和哉さんの作品です